サッカーWカップも終わり、はや半月。しかしドイツは強かった。かたや日本は、失意のどん底から未だ出口を見いだせないでいる。そんな折、ついに新監督が決定した。しかし、どんな監督が就任しようとも、どんな戦術を駆使しようとも、精神的柱がしっかりしていない限り日本チームに進歩はないように思えてきた。私の言う精神的柱とは、ドイツで言うところのゲルマン魂であり、日本人で言えば大和魂である。
ドイツ国旗
ドイツであれ、日本であれ、その国の国家理念は憲法によって表される。一方、その国民の精神的規範は国歌によって表される。だからゲルマン魂が何なのか、知りたければドイツ国歌をみれば一目瞭然である。
Deoitschland,deoitschland über alles,
Über alles in der Welt !
Wenn es stets zu Schtz und Trutze,
Brüderlich zusammenhält.
Von der Mass bis an die Memel,
Von der Etsch bis an den Belt,
Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt !
Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt !
ドイツよ、ドイツよ、全てのものの上にあれ
この世の全てのものの上にあれ!
攻めるにあたりても、守るにあたりても
兄弟の如き団結があるならば、
マース川からメーメル川に至り、
エチュ川からベルト海峡に至る
ドイツよ、ドイツよ、全てのものの上にあれ
この世の全てのものの上にあれ!
ドイツよ、ドイツよ、全てのものの上にあれ
世界に冠たる我がドイツよ!
今大会のドイツが何故強かったのか、やはり、この歌詞が示すとおり、この歌に込められたゲルマン魂がチームの柱に成り得たからではあるまいか。それでは、日本人選手が持つべき精神的規範は『君が代』のどこに記されているというのであろう。必ず記されている筈である。
君が代は千代に八千代に
さざれ石の巌となりて
苔のむすまで
「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」
そう、この一文こそが、大和魂が何たるかを知らしめる一文だと私は思っている。
屈強な肉体を持つ欧米やアフリカ選手に比べ、歴然と見劣りする日本人選手は、文字通りちっぽけな「さざれ石」である。しかし、『君が代』に記される「さざれ石」は、ただの細石ではないことを思い起こしてほしい。一度結束すればどんな岩石よりも強固な「巌」となり得る「さざれ石」なのである。まさしく、この一文こそが、今の日本サッカー界が必要とすべき精神的柱なのではないだろうか。
かつて、幕末の頃のことである。尊王攘夷一辺倒だった長州は、馬関戦争で英、仏、米、蘭によって徹底的に打ち負かされたことがある。その時、長州は欧米列強との実力の差をまざまざと見せつけらた。そして、日本という国が、あまりにもちっぽけな存在であることを思い知らされた。この戦を経験した長州は謙虚に自らを見つめ、攘夷の思想を捨てて維新を成し遂げる。その後の明治新政府が、どう歩んでいったのかは『坂の上の雲』に描かれているとおりである。
NHKドラマ『坂の上の雲』の冒頭のナレーションを思い出して欲しい。
「まことに小さな国が、開花期を迎えようとしている・・・」
日本の近代化は、日本という国が、ちっぽけな存在であることを謙虚に受け止めることから始まった。その、ちっぽけな日本が、列強に肩を並べられるまでに成長できた原動力は、他国には真似のできないくらいの結束力(大いなる和)があったからではないだろうか。
日露戦争の頃には、すでに『君が代』は国歌の役割を担っていた。何故、古今和歌集からこの歌が国歌として代用されたのかは、諸処諸々の意見が飛び交うところであるが、明治維新後の日本が、世界の中でどうすれば強くなれるのかを考えたとき、和をもってすれば「さざれ石」であっても、いつの日か必ず磐石な国家になりうることを示唆する『君が代』が最も相応しかったのかもしれない。
日本のサッカー界は明治期の日本と似ている。だから強くなるには、まず自らを「さざれ石」であることを認める謙虚さが必要である。「さざれ石」であることを認めようとしない高慢な選手は必要ない。コンクリートに含まれる砂利石のように、小さくても粒が揃っていれば結束したときには強固になる。数多の「さざれ石」が結束し、風格のある「巌」と化したとき、その頂きには立派な栄冠が必ず覆うことであろう。
今の日本にとっての邪悪な思想は、大国であるという自惚れである。自信過剰のビッグマウスは日本を駄目にする。歴史がそれを物語っている。「さざれ石」という謙虚さを忘れ、自惚れを抱いた昭和の日本は、明治の時代に築き上げた日本人の美徳を台無しにした。そういう経験を経た今だからこそ、今一度『君が代』に秘められた大和魂に向き合うべき時だと思う。