どこかに、目印とか
手か足か顎か引っ掛けられるような出っ張りとかないだろうか。
先にも行けなくて、かと言って後にも戻れなくて
上にのぼるような気力もない。
それなら下を掘ってみようか。
宙ぶらりんな状態が続くと滅入ってしまう。
たぶん誰もがそうなんだ、と自分に言い聞かせながら日々を過ごす。
誰かに頼りたい時、助けを求められない。
これが自分の弱さか、なんて
無力さを痛感する。でもね、いつまでもそんなことは続かないんだよきっと。
「きっと」とか「頑張って」とか無責任な言葉だって
ある人が云ってた。
確かに、頑張っては無責任だと思う。頑張ってる人を追い詰めるからね。
だけどわたしは、きっと、は信じたい。
何を根拠にって言われてもそんなのわからないけどさ
希望を持ってたいんだよbr />
何も出来なくても、自分は気付かないところで何かが出来るんだって。
いいじゃない。そんなんでも。
どこかで誰かが見ててくれるって思えば、なんか一歩でも前に進めそうな気がする。
なんでもいいから自分をほめてあげよう。
昨日はお弁当作れなかったけど、今日はとりあえず作れたね。
洗濯もできたね。
ブログ書けたね…言葉にするって、大事なこと。
弱い自分も受け入れてあげようよ。
なよってる、こんな人間、、じゃなくて、こんなんでもまあいいかってね。
言い聞かせる「大丈夫
シーソーはぐらぐらしてるから安定しているのであって
片一方がドンって上向いたら、もう一方はズドンって落っこちてしまうから
それは不安定なんだよ
―リリー・フランキーさんの言葉より
だからカテゴリー名は”シーソーゲーム”
人生なんてシーソーゲームみたいなもんだよ、きっと。