土曜日の観光ツアーは、すこぶる良い天気に恵まれた。参加者は20名余り。ツアコン兼ドライバーさんはメキシコ系だったので、スペイン語での案内が英語より長かった。我が家は残念ながらスペイン語はわからなかったけど、小学生までペルーで育った参加者のウケはよかったようだ。ペルーからの参加者が居たら、車中はスペイン語でもっと盛り上がったかもしれないと思うと少し残念だった。日本から出席した方の中には、この会の後はペルーの親族に再会するためにペルーへ行く方もいたので、この絶景ツアーはきっと良い土産話になったと思う。ツイン・ピースからの高台展望と、ゴールデン・ゲート橋をくぐる遊覧船の眺めはとても美しく、忘れられないものになった
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その晩、ディナーパーティが開催された。前日入りしている出席者にサンフランシスコ近郊からの参加者が加わり、総勢50名ほどのにぎわいになった。ハワイからの参加者がウクレレを弾きながら場を和ませてくれた。また今年も、この通称「ペルー会」が開催でき、懐かしい顔ぶれが集まったことを喜び合った。
私はペルーから出席できなかた方からのメッセージを日本語で読み上げる役をいただいた。その中で昨年6月にペルーのアラン・ガルシア大統領が戦時中の日系人排斥を謝罪したことが伝えられた(参考:「大戦下の日系人排斥を謝罪―ペルー大統領」2011年6月16日付、世界日報)。
JPOHP代表、グレース・シミズさんが引き続いてスピーチをした。その中で、ガルシア大統領が謝罪に至った背後にJPOHPの働きかけがあったことが明らかになった。第二次世界大戦中にアメリカ側へ日系人を引き渡した南米各国に対し、当事者が存命のうちに謝罪を行うよう要望していたのである。要望に応え、ペルー政府が謝罪をしたことは、アメリカ、ペルー、そして日本で戦後を生きてきた当事者の心に深く刻まれる歴史的な出来事だった。
しかし、今までアメリカ政府の正当な謝罪を求めて国際司法裁判所へ提訴を行い、あわせて5回もアメリカ政府を訴えてきたJPOJPの活動の方向性や目的を鑑みれば、何らかの変化があったのではないか。
シミズさんは、アメリカが南米各国から抑留された日系人に対してまともな謝罪をしないことについて、落胆を隠さなかった。アメリカは自国の安全を脅かすと判断すれば、世界各国で正当な権利を取得して生活している人々の権利を剥奪し、拉致し、抑留することをいとわなかったし、これからもいとわないだろう、と。これは、つまり、アメリカには贖罪する気がないということなんだろう、と。
ニューヨークで起こったあの同時多発テロ「911」を契機に、アメリカは対テロ戦争へ突入した。国内での治安活動が活発になり、「警戒レベル」なる指標が設定された。イスラム教徒に対する排斥が強まり、差別的な犯罪が増えた。テロ戦争の前線では刑務所での虐待が過激化。また、捕虜収容所をキューバに開設し、国内外のテロ容疑者を収監し始めた。この捕虜と容疑者を同時に収監する収容所では人権侵害が深刻化しているという人権団体からの糾弾が続いているが、今年9月現在で未だ約170名が囚われている。
このアメリカ政府の対テロ戦争のやり方、アメリカ社会の「自己」防衛的な「他者」排斥行為、そしてそれを正当化するさまざまな論理がシミズさんの心を回復不可能なほど深く抉った。過去の対日戦争において国内治安を理由に合法的に生活している日本人と市民である日系アメリカ人を収容所に監禁したこと。また、南米から太平洋地域の集団的防衛という名目で各国から日本人移民や、その国の市民として生活している日系人を拿捕し、アメリカへ移送して収容所へ監禁し、その後強制的に日本へ送還したこと。その歴史の証人として、またアメリカ市民として、対テロ戦争に突き進んだアメリカに対するシミズさんの怒り、悲しみ、絶望感は想像するにあまりあるものがあった。