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の秋の大

「図書館戦争」

というセリフを聞いた時、 「ああ、これだ」 と思いましたdermes 價錢

その時に「これだ」と気づいたのではなく、
最近、自分が言いたかった「ニュアンス」が、これに当てはまると思ったものです。


それは同時に、
過ちや失敗を「責める」よりも、「寄り添うもの」に通じます。

「何のための正論か?」
更には、「何のために正義はあるのか」を考えさせられるもの。
正論って、けっして「正義」には結びつかないのも確かです。

また、正論のために正論があるのではなく、
(つまり、例えば「組織維持」のためのものであったり)
「どうしたいの?」の答えの向こうに、
その「正論」が生きてくる。
それを生かさない「正論」であるならば、そんな正論なんて邪魔でしかないと僕は思うんだ。

だから、正論自体は手段のひとつであって、
けっして目的そのものではない。
正論をわかっているけれども、
それがその人を苦しめることだってある。
「正義」の目的がどこにあるか、しっかり見失わずにいたい。

そこから行き着くと、
アタックよりも、フォロー。
蘇生のプロセスは幾通りもある。

遠く離れた“演壇”から、
十把一束に正論をぶつけるのではなく、
膝詰めで、その人の重い荷物を支えてあげたい。

役割はいろいろあるかもしれないけれど、
僕は落ちこぼれた側、あるいは悩める側に寄り添い、
いっしょに這い上がってゆくほうを選ぶ。


バカには
バカの気持ち。
ろくでなしには、
ろくでなしの気持ちがわかる高膽固醇

ああ、誰の事でもないよ、
どっちも、僕のこと(笑)


教科書にはない方程式を捨てないでゆく、僕は。
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